近所の神社に行って、撮影した写真です。一本の樹を見上げてみました。
そして、その根元の苔を撮影してみました。
寒く、乾燥していて、雨も降ってなかったので、苔は乾燥している感じですが…。それでも生きていて、また、雨が降ると、ふさふさになるのだと思います。
空気の冷たさと、苔の強さ。
冬には、冬の苔の良さがあるな…と思いました。
近所の神社に行って、撮影した写真です。一本の樹を見上げてみました。
そして、その根元の苔を撮影してみました。
寒く、乾燥していて、雨も降ってなかったので、苔は乾燥している感じですが…。それでも生きていて、また、雨が降ると、ふさふさになるのだと思います。
空気の冷たさと、苔の強さ。
冬には、冬の苔の良さがあるな…と思いました。
久しぶりに神社に行きました。根元に苔の生えた木。見上げてみました。連続写真でお楽しみ下さい。
根元には苔が生えている訳でした。
一つの地点から見上げるように写真をとったのですが、角度とか、撮影範囲を調節したら、ロングの写真のように撮影できるのでは?と思いました。
最近は、そういうカメラがありますが、デジタルカメラでアナログ的な手法をしてみるのも、面白いのじゃないか?と思いました。
なかなか、楽しそうです。
神社の境内。空地などに生えていた苔です。
石に時間を感じさせるのは、やはり、苔の力のように思えますね。
この階段は、しばらく、こんな感じなのだと思います。きっと、私が、おじいさんになっても。
近所の「ちびっこ広場」が、何か、新しいものに変わって行くみたいです。
ずっと子どもが遊んでいる姿は、見てなかったように思えますので…。
久しく更新できてなかったのですが、近所の神社の様子です。
この木は、確か、夫婦の木だったりします。
石に生えた苔が時間を感じさせます。
最近、改修が進んで、新しいモノも多い神社なのですが、私は、苔むした石や、木が好きだったりします。
切り株とか、そこに樹が生えていたということで、やはり、時間を感じさせる物だと思います。
苔もまた時間を感じさせます。
生命の役割を終えた、樹の残り、残骸に生える苔。
おそらく樹を、少しずつ、還している。そんな風に感じました。
樹が切られ、苔が育ち。巡っていると思います。
神社の苔、街中の苔、木の根元の苔。同じ苔なのに、神々しさが違うように思えます。
京都市は左京区、吉田神社の境内を散策した時に、観た苔。その写真を、紹介します。
きっと多分。苔は生え変わり。同じ苔が、ずっと生えている訳じゃあなくて、世代交代は、ずっと行われているのだと思うのですが。
そこに苔があり続けたと思わせる景色。それが、時間を感じさせるのかな?と思いました。神社の苔。歴史、でしょうか。
大きな木は大木と呼び、巨木と呼び、神木と呼び、それは、人間が勝手に読んでいるだけかも知れませんが。
大きな木が切り倒されたときは、なんと勿体無い!と思ったものですが・・・。
その切り株に苔が生えている様子は、移り変わりとは、そういうことかも知れない。
散歩中。なんでもない溝川にも、その道に沿うコンクリートにも、苔が生えておりました。
多分、人類が滅んでも、苔は、じわじわと生え、やがて、私達が生きた痕跡を、自然に戻してくれるのだと思います。
苔には、そういう優しさがありますね。
雨が降ると、苔に水をやらなくて良いな、って感じで、これは、便利って感じなのですが、よく考えれば、軒下だから、雨はかかってないかも知れない。
だけど、空気が湿っているのか、苔も元気そうです。
一つの中で、苔も色んな顔を見せて、嬉しい感じです。多分、丁寧に育てるなら、雑草とかを引いていくべきなんでしょうが・・・。
私は、色々と混ざった感じが好きです。あまり大きくなったら、切り取っておりますが。
しばらく涼しい日が続いていたので、水をやるのを忘れていて、みると、ちょっと枯れてました。
水不足か、それとも、寒いからか?
枯れた苔にも、味わいが。そして、枯れても、次の苔の土台や栄養となるでしょう。
また、しぶとく雑草が生えてますが、大きくなったら、また、切り取ろうと思います。