切り株とか、そこに樹が生えていたということで、やはり、時間を感じさせる物だと思います。
苔もまた時間を感じさせます。
生命の役割を終えた、樹の残り、残骸に生える苔。
おそらく樹を、少しずつ、還している。そんな風に感じました。
樹が切られ、苔が育ち。巡っていると思います。
切り株とか、そこに樹が生えていたということで、やはり、時間を感じさせる物だと思います。
苔もまた時間を感じさせます。
生命の役割を終えた、樹の残り、残骸に生える苔。
おそらく樹を、少しずつ、還している。そんな風に感じました。
樹が切られ、苔が育ち。巡っていると思います。
神社の苔、街中の苔、木の根元の苔。同じ苔なのに、神々しさが違うように思えます。
京都市は左京区、吉田神社の境内を散策した時に、観た苔。その写真を、紹介します。
きっと多分。苔は生え変わり。同じ苔が、ずっと生えている訳じゃあなくて、世代交代は、ずっと行われているのだと思うのですが。
そこに苔があり続けたと思わせる景色。それが、時間を感じさせるのかな?と思いました。神社の苔。歴史、でしょうか。
大きな木は大木と呼び、巨木と呼び、神木と呼び、それは、人間が勝手に読んでいるだけかも知れませんが。
大きな木が切り倒されたときは、なんと勿体無い!と思ったものですが・・・。
その切り株に苔が生えている様子は、移り変わりとは、そういうことかも知れない。
散歩中。なんでもない溝川にも、その道に沿うコンクリートにも、苔が生えておりました。
多分、人類が滅んでも、苔は、じわじわと生え、やがて、私達が生きた痕跡を、自然に戻してくれるのだと思います。
苔には、そういう優しさがありますね。
雨が降ると、苔に水をやらなくて良いな、って感じで、これは、便利って感じなのですが、よく考えれば、軒下だから、雨はかかってないかも知れない。
だけど、空気が湿っているのか、苔も元気そうです。
一つの中で、苔も色んな顔を見せて、嬉しい感じです。多分、丁寧に育てるなら、雑草とかを引いていくべきなんでしょうが・・・。
私は、色々と混ざった感じが好きです。あまり大きくなったら、切り取っておりますが。
しばらく涼しい日が続いていたので、水をやるのを忘れていて、みると、ちょっと枯れてました。
水不足か、それとも、寒いからか?
枯れた苔にも、味わいが。そして、枯れても、次の苔の土台や栄養となるでしょう。
また、しぶとく雑草が生えてますが、大きくなったら、また、切り取ろうと思います。
今日の昼頃、市内を散策している時に撮影しました。
多分、苔の種類も、そして、苔と一緒に生えている雑草の種類も、そんなに珍しいモノじゃあないと思うのですが・・・。
そこが御苑の石垣である事実が、不思議と風格を与えている気がします。
雨の日にくれば、また、違った顔が観れるでしょうか??